日本青年会議所のルーツ

 日本における青年会議所の運動は、ある1人の青年実業家の行動と理念より始まりました。

 1920年、二代目三輪善兵衛の長男として生を受けた三輪善雄氏は、1939年の父・二代目善兵衛の没後、若くして家業の小間物問屋「丸見屋」を継ぎ、三代目三輪善兵衛を襲名しました。しかし日本は間もなく、太平洋戦争の泥沼の道へと足を踏み入れて行き、善兵衛の許にも出征の命が下ることとなります。

 第二次世界大戦の敗北と共に務めを終え、帰郷した善兵衛が見たものは空襲により焼け落ちた故郷と父から受け継いだ工場、そして戦争に疲れ切り活力を失った町と人々でした。そのような状況の中、善兵衛は終戦の翌1946年には工場を再建、実業家としての活動を再開します。

 戦争により疲弊しながらも傷を癒す間もなく立ち上がろうとする人々を見つつ、戦後復興の時を生きる善兵衛は、明日を如何に切り拓き生きてゆくのか、若き経営者としてどうあるべきなのか、ずっと考えていました。旧日本帝国軍や、軍需産業に関わる財閥はすでに解体され、大企業はずたずたに分断されており、日本の経済界が負ったダメージは計り知れないものです。そこから立ち上がり、力をつけるには・・・

 政財界においてこれまで力を持っていた人物の多くがその実権を喪失している今、祖国の復興のためには若き我らの情熱と活力こそが必要なのではないか。そう感じた善兵衛は1949年(昭和24年)9月3日、29歳の時に、東京商工青年会議所(現、東京青年会議所)の設立メンバーとなり、初代理事長に就任します。

 以降、その志に賛同した人々により青年会議所は各地に発足し、現在は全国47都道府県に約700団体が存在し、総会員数は約37,000名を数えます。(2016年1月1日現在)